CRIME OF LOVE 3




 「お店を予約した時間まで、まだ少しあるの。ちょっとそこのビルをのぞいてもいい?」
 知盛をぴったり引き寄せて離そうとしない望美の腕。だからビルのショッピングモールの中の、彼には興味のない店舗まであちらこちらと連れ回される。だるいなと思いつつ、 あれこれ品定めをしている望美を見ているのは楽しいので文句を言うつもりはない。……しかし。
「ねえ知盛、私の話、ちゃんと聞いてる?」
「……ああ」
 嘘はついていない。きちんと望美の声は耳に届いている。ただし内容は別にして、だが。生返事を返そうとも、それも彼女の声に聞き惚れているが故なのだ。
 やがて 予約した店で向かい合い、メニューを見ながら望美は楽しそうに料理を注文した。車なのでアルコールはなし。知盛ひとりなら平気で飲むが、望美がいる時は、とりあえずルールは守る。
 しかし目の前に運ばれてきた ふたり分のごった煮のような皿に、ボーイが去るのを待って知盛はうさんくさげな声を出した。
「……何なんだ、これは」
「だって、どんな料理か見てみたかったんだもん」
 聞いたことのない変な名前だったし、と言う望美に知盛は吐息をついた。メインの選択をまかせたのは失敗だったかもしれない。
「そんなのは俺のいない時に注文しろ……」
「ええっ、好奇心って大事じゃない? それにとりあえず知盛の食べられないものは入ってないみたいだったから。知盛、 お魚好きでしょ。赤いのはトマト……だと思う。嫌いじゃないよね。あとは、これ、 オリーブ? オリーブはおつまみによく食べてるし」
「……」
「ねえ、食べてみてよ。きっとおいしいよ。ああ、何ていい匂い!」
 わざとらしく大きく息を吸う望美に、知盛は低い声で告げた。
「まずはおまえが食べろ。責任を……取れよ?」
「んもう、わかってるってば。…… だいたい知盛は好き嫌い多すぎ。なのに、どうしてそんなに背が伸びたわけ?」
 ぶつぶつつぶやきながらも一口食べ、望美は表情をぱあっと一変させた。
「おいしい。これきっと知盛の好きな味だよ、食べてみて?」
「嘘じゃ、ないだろうな?」
 それでも半ば疑いつつ、口に入れたのだが。   
「……うまいな」
 ぼそりともらす彼に、望美は笑いをこぼした。
「ね! そう言うと思った」
「……調子のいいことだ」
 言いながら、彼も望美の笑顔につられたように片頬に笑みを浮かべた。
 たわいのない会話。
 歌うように伸びやかな声。
 微笑む唇。輝く瞳。
 皮肉めいた彼の口調に、すねたようにとがらせる口元。
 何もかもが愛しく思える。
 ―――この平和な時代で数年。愛し、愛されてきた。日なたの温水のようなとめどない安寧に流されつつ、かつて戦いに刃を散らした互いの激しさもまた、その中で角を削がれてきたようだ。知盛が最初に見知った彼女は、炎の熱さと風刃にも似た鋭い剣技を併せ持つ、美しい獣だったが―――。
 源氏と平氏の和議の前夜、刃を交え、血も肉も骨も、魂すらもほしいと強く激しく求められ、知盛はそれを受け入れた。戦いの興奮もそのままに互いを貪ったあの時、彼は 剥きだしの欲情で荒々しく彼女を抱いた。彼女が初めてだと知っても止まるものではなかった。
 彼女に知盛を深く刻み込み――また、刻まれて。二度目はもう少しいたわりながら、そしてさらに求め合い……。
 やがて力尽き、気だるい解放感にひたりながらも、それでも彼にいまだ信じかねる思いがあったのも事実だ。
 打ち交わした剣の鬼気も嘘のように、ぐったりと目を閉じた、腕の中の細い体。この女が彼を生かすためにこそ時空を超えてやってきたのだと、彼の戦場を失くすことで、生きている彼をどうしても手に入れたかったのだと語った内容は、にわかに理解しがたくもあった。
 しかしそれでも彼は望美を愛した。彼女のひたむきな、魂の光輝に魅了された。彼が熱い血の高揚を実感できる場が失われようとも、望美の存在がそれを補って余りあると信じた。彼女を惹きつけたのが他の時空に生きた知盛であったとしても、彼女の手を取ったのは、ここにいる彼だったのだ。
 和議が成り、ようやく穏やかさを取り戻した京からこちらにやって来て、あまりにも異なる世の態様に目をみはり――けれど自分で考えていたよりも順応性が高かったということなのだろう、生きる術を見つけ、 思いもかけなかったほどの成功を収めることもできた。
 望むなら、ずっとここで生きていくことができる。彼女と恒久の絆を結び、子を生(な)し、歳月を重ねて……。
 それは甘美な幻影だった。
 その道を選ぶことは容易い。否、それこそがいわゆる人の幸せというものなのかもしれない。彼がそうした日々を歩んでいくものと、望美も信じていることだろう。彼に愛を教えた女、その魂に獣の純粋さを秘めた愛しい女は。
 だが彼女が牙を研ぐ時は過ぎた。今の彼女は本来所属する平和な世界で、豊かさと平穏を享受しながら幸福になるのがふさわしい。彼女と共に知盛も束の間、豊穣な時代のきらめく飛沫(しぶき)を浴びることができた。
 彼女といると、すべては輝きを増す。―――そう、心を虚しく吹き抜けていくうつろな風の響きさえ、時には幻聴かと思えるほどに。
 瞬時、知盛は瞑目した。
 豹も、穏やかな時の流れに揺られて 猫に変わるか。
 いや、豹は豹だ。決して人に馴れる存在にはなりえない……。
「……出るぞ」
「え? まだ デザート来てないよ」
 唐突な意志表示、すでに立ち上がりかけている知盛に望美が驚いた声を出す。もっともデザートを頼んだのは彼女ひとり。知盛はブラックコーヒーのみだ。甘いスイーツは彼女の専門だった。コースを頼んだ時の知盛の分のデザートは、いつも望美が食べているくらいだ。
 だが知盛が耳元に唇を寄せて落とした言葉に赤くなる、そんなところは何年経とうと変わらない。ためらっているような、それでもいざなえば素直に従う望美の腰を抱いて店を出た。結局人目あるところでの話というわけにはいかなかったと、ほろ苦く考えながらハンドルを握る。
 彼女がほしい。誰よりも近くに彼女の存在を感じたい――。その思いが、ただ彼を突き動かしていた。



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